凪ヲ待ツ

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双極性障害2型アラフォー女子の日々感じたことゆるゆる

障がい者雇用で働くということ


今年の3月まで、障がい者雇用で働いていました。
5年間の有期雇用で契約満了で退職。

さてさて、実際は休職を何回も重ねて3年強働けたというのが実情。これは、私の職場環境がとても良かったからにほかなりません。厳しい会社なら退職を言い渡されていたことでしょう。

どんな仕事をしていたか、守秘義務的なものはないけれども、自分の素性がバレるのが嫌でTwitterでは仕事の内容に関しては触れませんでしたが、辞めて半年近く経つので、働いてきた内容、障がい者雇用でのいわゆる「配慮」など書き残しておこうかと。

 

・働いてきた内容

私が働いていたところは大学病院の生理検査部門(心電図・エコー等々)の受付。一日に100人~200人の患者さんが診察にかかる前の検査としていらっしゃいます。

主に心電図検査の部屋で仕事をしているので、受付をし、患者さんを案内し、終わったらベッドメイキングをするまでが主たる業務。合間に病院内の案内や院内電話対応(各診療科かからの問い合わせ、医者からのオーダー受付)、検査結果の取り込み、薬剤や医療器具の受け渡し、ベッドに移動するのが大変な方の介助など、細かいことまであげたらキリがないので、これくらいで。

何が大変だったかというと、とにかく受付案内業務が大変でした。過去に介護の仕事をしていたので、車いすからベッドの介助とか着替えの手伝いだとかは全然苦じゃなかったのですけれども、週明けの月曜の午前中の受付の忙しさったら半端なかったです。月曜は、電子カルテでみるみる受付人数が増えていくのが恐怖でした(笑)

クレーム入れてくる人もたまにいるので、その都度対応も苦慮しましたが、働いているチームの和を乱さないようにするのも案外気を遣うもの。忙しいときはみんなピリピリしちゃうから、それを気をつけるぐらいでした。ありがたいことに人には恵まれていて、とても優しい人ばかり。体調悪いときも気がついてくれたりと、何かと助けてもらいました。


そんな元職場。
平日5日間、土日祝休み、お盆は無し、正月は4日から。
9~16時の休憩1時間、実働7時間で働いていました。
時給はちょっとよくて(と言っても北海道の最低賃金より少しプラス)、ボーナス年2回支給。有休も夏季休暇・冬季休暇もあり、なかなか恵まれていたと今になって思います。

できることなら働き続けたかった・・・

 

障がい者雇用としての配慮

私はうつが酷いタイプで、調子が悪いときに度々通勤時の地下鉄やバスで具合が悪くなったりすることがありました。そのときは、出社して横になって休憩できる場所(当直室)を使わせてもらって、15~30分ほど休んで仕事に向かったりしていました。勤務中に具合が悪くなったときも同じく。

うつ期が続くと7時間労働もキツくなってしまい、1時間早く帰ったりと勤務時間の調整も柔軟に対応してもらいました。調子が悪いから2週間ほど早く帰らせてくださいとお願いして、自分の体調と相談しながら無理せずやらせてもらってました。休職も何度もしていますが、休職明けは午前勤務からにしてもらい、段々時間を延ばすという配慮をしてもらい。


そうそう。始めの1ヶ月は電話を取らなくてもよかったことも、配慮のひとつでしょうか。慣れてしまったら必然と私がメインでとるようになりましたが。医者のセンセー達ってみな早口なのはなんなんでしょうか(笑)働き始めの頃はメモを取るのに必死でしたよ・・・。頭がいいから早口なのか、時間がもったいないから早口なのか。この話題、メンクリの主治医に一度聞いてみようかと思っていまだ聞けてません・・・。

上司との定期的な面談と言うより立ち話ですが、よく声をかけてもらえたことも、働く上での支えとなっていました。同じ障がい者雇用の先輩にもよくしてもらって、仕事で辛いときなど励ましの言葉もらっていました。

難しい仕事ではなかったので、もっと私ができそうな仕事が欲しいと思ったことも何度もありました。でも、いま考えると体調も悪いと無理もできないし、仕事を続けるための「ほどほどの仕事量」だったのだと思います。手が空いた時間はよく掃除をしてました。掃除も仕事のウチ、私がやらなきゃ誰がやる!ってぐらいで。


働いていてとても気持ちが良かった思い出、ひとつ。
職場では必ず何かしたら「ありがとう」が行き交うのです。意外とできそうでできない。この一言で頑張ることができました。


これだけの配慮をしてもらっていましたが、「配慮があっても当たり前」とは思わないで働くようにしていました。職場の方々も妙に気を遣ってくれることもなく、それもよかったのかもしれません。自分が障がい者雇用ということをある程度わきまえつつ、できることは率先してやるようにしていました。いままで双極の波のせいで仕事が続かなかった私が5年間勤められたこと、本当に職場の方々の理解につきます。


5年間、あっという間でした。
いまは就活中。
次の職場がどんなところになるかいまはわからないけれども、良い出会いがあると信じて、いまできることを一生懸命していきたいと思います。