凪ヲ待ツ

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双極性障害2型アラフォー女子の日々感じたことゆるゆる

私の病歴(その5)

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私のこれまでの病歴(1~4)はこちらで↓

病歴 カテゴリーの記事一覧 - 凪ヲ待ツ


思いのほか自分語りが長くなりました。
これで最後になります。
読んでいただいた方、本当にありがとうございますm(_ _)m

 

またも休職挟んで退職したわけですが、まだ働ける余地はあるとの主治医の判断で、就活を直ぐ始めました。同時に障害者手帳も取得しました。いい加減、自分の病気と向き合わないと・・・
雇用保険をもらえる期間が長くなることもこの時に知り、診断されてから取得を迷っていた変なプライドと決別することにしました。

ハローワークの「みどりの窓口障害者雇用専門)」を使って雇用保険をもらいながら今まで通りに、自分だけで頑張る!!
そう思っていましたが、窓口の人の勧めで就労移行をいったん使い、支援をもらいながら探すことのメリットを色々と説かれまして(後々困ったときに頼れる人がいると心強いよ。支援員をつけたほうが企業も安心するし←ここが通所することを決意した決め手)

30代後半突入もしていることだし(笑)新たな道を模索する決意が生まれました。
振り返ってみると、この判断をしたことでいまの自分がある。


そして1年半強、就労移行支援事業所に通所してこの春めでたく?卒業。
経緯などは下記をごらん下さいませ↓

就労移行支援事業所 カテゴリーの記事一覧 - 凪ヲ待ツ

通所している間にも躁鬱の波は容赦なくやってきました。予定では週に2・3回短時間から通所を始めて半年後ぐらいにはフルタイムでの就職を目指していました。

が、通所を初めて1ヶ月は予定通りに行けましたが、その後に3ヶ月丸々休み・その後も1ヶ月休み・・・思っていた以上に体調をコントロールすることができなかったのです。そんな自分に苛立つこともしょっちゅうありました。なんとか週4・5日の6時間を安定して通所ができるようになったのは去年の冬からです。


振り返ってみると、通所している時に調子が安定しなかったことはけして悪いことではなく、自分の躁鬱のサインや対処方法をしっかりと知る時間となりました。
病識を深めること、そして自分の体調の波をだいたい把握すること。これが安定に繋がっていく手段の一つだとここで学びました。


実は就職活動は1回しかしていません。
年に2回行われる「障害者雇用の合同説明会」に参加して決まりました。当初は自分でじっくり探す予定でいました。短時間勤務から始められ、ゆくゆくは契約社員か正社員になる道を希望して探し始めたわけですが、地方だからということもあるのでしょう、これがほぼないのです。

合同説明会なので、やはりフルタイム勤務で正社員か嘱託社員的なものがほとんど。短時間雇用からスタートできるものは中々ありませんでした・・・。厳しい現実を思い知りましたが、いずれは絶対フルタイムで働くんだとその時心に誓いました。


いまの職場は有期雇用です。
が、短時間からスタートしてパートですがゆくゆくはフルタイムにできるとのこともあり、この5年間で次の準備を万端にする良い機会だと考え応募して内定をもらいました。入社まで1ヶ月あったので、この間に職場まで行く練習や働く時間と同じ時間に外で過ごすことなどに挑戦。


入社して7ヶ月経って、5時間勤務から6時間勤務に延長し現在働いています。


病歴というより、職歴紹介になってしまっている感がありますが、私の躁鬱の波と転職を繰り返していたことは切っても切り離せない関係なのですよね・・・

これからの5年間はできるだけ満期終了を目指し、次の職場ではフルタイムで働けることを夢見て、体調をコントロールしつつ「できること」を少しずつ増やしていきたいです。

上司に言われたことがあります。
「たぶん、あなたにとっては簡単な仕事だと思う。でもこの機会にゆっくりと次のステップに進めるようにここで頑張って欲しいな。リハビリ場所だと思って、肩の力を抜いてさ」
素敵な言葉をいただきました。
私は辛くなったらこの言葉を思い出しています。
結局月1・2回は欠勤していますけれども(ーー;)

職場の方々も応援してくれるので、なんとかこの職場で頑張っていきたいです。


でも、できなかったら仕方ない。
そうなっても、この職場での経験は活かせるはず。


今年になってから、大きなうつは来ていません。
嬉しいことなのでしょうが、やはり毎日寝る前には不安は襲ってきます。この夏からは深夜におやつを食べるのが習慣になってしまっている部分もあり、何かしらのストレスはかかっていると思っています。


それも仕方ないのかも。
治まることを願いつつ、辛いときもあるのだと受け止めつつ
「自分の力=回復する力」を信じたい。
いつかは寛解することを信じて生きたい。

これからも前を向いて双極の波をできるだけ受け入れて、ささやかな幸せを望みながら進んでいきたいです。