凪ヲ待ツ

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双極性障害2型アラフォー女子の日々感じたことゆるゆる

私の病歴(その4)

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私のこれまでの病歴(1~3)はこちらで↓

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転職を繰り返しながらもクローズで10年ほど働き・・・
うつ状態に陥り退職。そして双極性Ⅱ型障害の診断、自宅療養を経て1年半。


やっとパートで働く許可が出たのですが、通勤することに不安があったため近所の職場を選び働き始めました。この時までクローズで働きました。短時間で週に3・4日という制限があったのですが、再び働くことができて嬉しかったことを覚えています。

シフト制で働いていたのですが、当初は夕方から夜の予定が1ヶ月経ち、早朝・昼間・夕方から夜までと変則勤務が入るようになってきて・・・仕事は慣れてきたけれども生活リズムを上手く作れていないことに対する不安が出てきました。


ここまで頑張ってきたのだから、どうせならオープンで働いてみよう!
自立支援も受けているのだし(当時は手帳持っていません)!
そんな気持ちを抱いて、早速就活。これはたぶん軽躁状態に突入していたのでしょう。

タイミング良く間を開けずに次の仕事も見つかり、クローズでのパート生活は半年でおしまい。入社時に契約社員で仕事内容を最初は限定しているがいずれ色々とやってもらいたいという話をされ、オープンで働くことに希望いっぱいでした。思っていた以上にこれからが楽しみ!私、頑張るわ。



が、現実は甘くなかったのです。
オープンの契約社員で働き始めて1ヶ月。母が急病で2ヶ月近く入院することになり、いままでの生活とは違う環境になったことがキッカケだと振り返れば思うのですが、ここでうつ状態になり1ヶ月半ほど休職。その後短時間勤務スタートで復職するも、夏には椎間板ヘルニアになってしまってまたも1ヶ月休職・・・。


秋からまたフルタイムで働けるようになったものの、職場での人間関係でのあれやこれやがあったり、それを何度も上司に話すも改善しないまま年末の追い込み業務が入り、一人でかなりの量をこなしたあげく・・・仕事始めの日に具合悪くなり午前で早退(泣)

そのまま2ヶ月半休職し、上司と何度も面談の機会はあったのですが最終的には退職をそれとなく勧められ、泣く泣く仕事を辞めました。


結局まともに働けたのは半年ほどでしょうか。
オープン雇用のメリットとしては、月一回の面談がありました。ただ、ここで細かく自分の病状と体調についての説明が上手くできなかったのです。また、病識も浅かったこと、なにより上司との相性や周囲の環境に慣れることができなかった。

この職場は上司以外は障害者雇用でした。いまでは理解できることも多いのですが、双極以外の精神障害発達障害の方との業務にしんどさを覚えていたことも事実です。オープン雇用なのでもっと長く休職が認められると思っていたのですが、あっさり退職勧告されたことはとてもショックでした。しばらく泣いて暮らしました。

でも、仕方ない。そんなに甘くはない。
その事実を知れたことだけでも勉強になりました。
いまはそう思っています。