凪ヲ待ツ

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双極性障害2型アラフォー女子の日々感じたことゆるゆる

私の病歴(その3)

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その3です
いままでのは下記からどうぞ↓

その1 

双極性障害の病歴。過去を色々と振り返ってみた - 凪ヲ待ツ

 その2

双極性障害の病歴。ODのこと、過去を色々と振り返ってみた - 凪ヲ待ツ

 番外編

私の病歴、体調不良の中どんな感情を抱いていたか。うつ状態はほんと辛い・・・ - 凪ヲ待ツ


どの段階で診断がうつから双極性障害に変わったか。

直接主治医に確認したことはありませんが、役所等に提出する診断書で書かれることでは「介護の仕事に就いたストレスによるあれこれ」的なものが多いので、これが躁エピソードの判断となり診断が変わったのだと思われます。


具体的に書きますと、デイサービスに勤めて1年半ぐらいの時にデイの仕事以外のものが増えました。会社が事業拡大のために、訪問介護事業を立ち上げることになり、私の持っている資格が事業での人員配置として必要なものだったため、そちらの仕事もするようになりました。

サービス提供責任者の1人として、訪問介護先の利用者様の支援計画を立てたり、ケアマネージャーと連携をはかったり、介護保険請求をしたり、シフト組んで勤怠管理等々・・・。
いままでは、デイサービススタッフとして、送迎・入浴介助・レクリエーション等々と小規模デイだったので、大変なことは多かったですが楽しく仕事ができていました。


デイで働いていた当時、うつになり体調を崩したことはあって、3ヶ月ほど休職しましたが幸いに復帰をすることはできました。

復帰はできましたが、この時の休職時に考えたことは、いつまでうつが続くのか。そのことでした。以前の主治医の治療方針に疑問を抱くようになりました。

当時の主治医に仕事を転職する度に、言われてきたこと。
「あなたは単なるうつ病であり、頑張ればできる人だからそういう生き方をしてみたらどうか。在宅ワークなどをしていけばあえて社会に出て働く必要はないから、それがよいんじゃないか」

これを約6年間・・・。



うつも思うように治っていかないし、私が考えている方向とは違う。私は社会に出て、継続的に働いていきたかった。一人で仕事をしてみたいけれども、スキルはない。やっぱり社会の一員として外に出て、色々な方と出会って、規則的な生活をすることが私にとっては一番ではないか。

フリーランス在宅ワークをしている方は強い心を持っていると感じます。自分を律すること。私は自信がありませんでした。だったら、私は社会の枠にハマって生きていく。

この気持ちをわかってくれる医者が良い。
通うのは大変でしたが、主治医を変更することにしました。


いまの主治医は私の意見を尊重してくれて、なおかつ病気を治療しながらもどのように生きていけば良いかをじっくり考えてくれています。時には厳しいことも言いますが、私はそこをとても信頼していて、いまある程度の調子を保て働けるようになったのも、主治医のおかげだと感じています。



仕事の話に戻ります。
いままでしてきた事務の仕事もやりがいがありました。
が、介護の仕事はそれに加え充実感があり、いまも機会があれば介護に携わりたい気持ちがありますが、主治医と両親から止められていることもあり、自分の病気が安定して自信があればいずれ・・・と思っています。


未経験とはいえ曲がりなりにも責任者です。
立ち上げたばかりの事業所なのでヘルパーも人数が足りず、私もヘルパーとして仕事をしなければならなくなりました。

土日祝関係ない仕事なので、一日に2~3件ヘルパーとして働き、合間にケアマネや利用者さんが通うデイへの報告、利用者さんの家族との話し合い、事業所の事務仕事・・・。そして、たまにデイサービスのヘルプも頼まれることも多々。



いま考えればどうしてこんなにできていたのか。
やはり軽躁ならではの「勢いと自信」がそうさせていたと考えています。
周りからは精力的に色々こなしているなと、ある程度の評価はもらっていましたし、私も仕事をすることによって自分の経験が高まり、もっと勉強して上を目指そう!と常に思いながら、楽しんで仕事をしていました。

ホント、充実していてやる気に溢れていて、短時間の睡眠でも平気で。

ハイ・・・軽躁状態当てはまりまくりです(-_-;)


そんな日々は約1年ほど続き・・・
うつが突然やってきました。急に朝起きられなくなりました。身体が動かない。
泣く泣くトップに電話。

しばらく休みましょうとなりましたが、なかなか諦めきれず。頭は働く意欲いっぱいなのに、身体は動かない。だんだん心も行けない自分を責めるようになり、うつ状態は悪化し、ついに就業禁止を言い渡され、休職から1ヶ月後に退職。

その時に、薬がサインバルタパキシルだったのかも?当時は抗うつ薬睡眠薬の処方でした)からラミクタールに変わりました。睡眠薬の量も増えました。
双極の診断を告げられたわけではないですが、自分で調べてわかりました。

一生治らない病気なんだ。
これから一生付き合っていかなきゃならないんだ。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
私の人生もう終わったな。

毎日毎日マイナスなことを考え、泣いてばかりいる日々。
いつになったらラクになれるのだろうか。希死念慮も度々起こりました。寝られなくなったり、一日中眠り続け過眠状態になったり。昼夜逆転も続きました。

そんな中でもなぜか旅行に行くことができたりもした。これは一時的な軽躁だったのかもしれませんね。が、やはりその後は反動で大きくウツになりました・・・。
辛い中での旅行は、たまに思い返す楽しい出来事。

病状はなかなか安定せず。
そこからパートで働く許可が出たのは、1年半弱のこと。


あと1回で終わるかな。
マイペース更新してますので、どうぞその辺は多めにみてくださいm(_ _)m