凪ヲ待ツ

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双極性障害2型アラフォー女子の日々感じたことゆるゆる

私の病歴(その2)

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その2です
いままでのは下記からどうぞ↓

その1

双極性障害の病歴。過去を色々と振り返ってみた - 凪ヲ待ツ

番外編

私の病歴、体調不良の中どんな感情を抱いていたか。うつ状態はほんと辛い・・・ - 凪ヲ待ツ


ODして病院で目覚めましたが。
当然ですが、それで自分が何も変わるわけでもなく。1日入院で済みましたが、仕事を続けられる体調と心は戻らず、退職。

この時、母の力を借りて退社手続き。退職するときに会社まで荷物を取りに行ってもらったことは3回・・・、家族の力があったから、なんとかやってこれた。その部分はとても大きいことです。もちろんいまも、です。

お恥ずかしながら、私は生まれてからいままでずーっと実家暮らしなのです。なので、どんな状況であっても一人で暮らしている方は本当にすごい!そのひと言しかありません。


思えば、軽いODはずっとしていたのですよね・・・
(現在も不眠症な部分は改善できず、眠剤は手放せない状況なのですが、ODをすることと、寝られないときに調整することとは違うと私は思います。)

処方箋より多い3・4錠飲んでたり、お酒とコラボ(笑)させたり、まとめて飲みたいがために不眠状態なのに飲まないで溜めこんでみたり。それでも仕事に行っていた。行けていた。
いまでは考えられないことであり、しないことの一つなんですが、その当時は自分がラクになりたい一心でしていたことだったんですよね。


だから。
精神障害の人がODしがちになってしまうことは、私はけして悪いこととは思わないのです。クセになってしまう気持ちもわかります。
だって、その瞬間はとても気持ちが良いものですからね。でも、これは逃げでは絶対ない。自分がラクになる手段、それなんだと思っています。

対処しきれない状況から抜け出せる術の一つ。


ただ。
いつまでそれを続けていても自分の状況は変わらない。それだけは言いたいです。
メリットは自分にありません。断然、デメリットのほうが多い。

治りたい、安定したい気持ちがいまあるのだったら、少しずつでも量を減らしてみることに挑戦してみて欲しいです。
減らすことはとっても辛くて苦しいことなんですが、その気持ちがあれば必ずできると思うのです。うまくいかなくても、何度でもやってみればいいだけなんです。
私はそうして、いまはODをしないようになりました。


自分を大切にすることはけして簡単なことではないと思います。私もできていません。少しづつ出来ることをしていって・・・何回も失敗をして・・・また出来ることからやってみて・・・その繰り返し。それでいいんですよね。

 

話がそれました。

5社目のところを退職してから、3ヶ月休養。色々な選択を考えましたが、職業訓練に半年通い、介護の資格を取りました。

なぜ介護の資格を選んだか。
それには理由があり、学生の頃から福祉の道に携わりたい気持ちがずっとあったからなんです。高校生の時の障害者の方のボランティアでの出会い、短大の実習で出会った障害のある子どもたち、お話相手をさせていただいたお年寄りの方々、懸命に生きている人たちの役に立ちたい。

そうは思っていたけれども、実際体調を崩して短大を辞めたあとにその道を選ぶ気力はありませんでした。そのまま成り行きと行ってはなんですが、目の前にあった事務の仕事を選び、転職しつつもそれなりにやれてきた。

でも、このまま事務の仕事をずっとしていくことにも限界は感じていました。学もない・スキルも無い、このままでいいのだろうか。折しも30歳目前。

やっぱり夢は諦めたくない。資格を取って、そこから心機一転頑張ってみよう!
そして、座学・実習を経て半年後に資格取得。直ぐにとある障害者施設で働き始めました。


誰かの役に立てる。こんな私でも役に立っている。
勉強の最中、仕事に就いた後もその喜びでいっぱいでした。
喜びで始まった新しい仕事でしたが、理想と現実のギャップは広がっていくばかり。時間に追われ、終わりのない繰り返しの介助(作業と言ってもよいかも・・・)。私が思い描くコミュニケーションなど取る暇もない。

これは、いま考えれば狭い目線でしか見ることができなかった自分が悪い。私がそう思っていただけで、実際にはみなさん長く仕事を続けていますし、その中でも出来ることを精一杯して働いている方もたくさんいます。


でも。私には無理でした。
だんだんうつ状態が酷くなり出社拒否。あえなく3ヶ月で退職。
その後、また調子があがってきて別の施設、今度はデイサービスで働き始めましたが、ここも3ヶ月ほどでまたうつ状態になり、心機一転と思っているのにその年2社目の退職となりました。

1ヶ月後。
2年弱働いた別の施設に転職します。
発症のキッカケは私は今もってわからないのですが(なんせ、ずっとうつとそれなりの調子の良さの繰り返しだったのですよね。いわゆる躁転エピソードというものも、はっきりと自覚できるものはなかったのです・・・)
いま思えばこの職場で仕事量が増えた時、それが現在の病名に診断される材料になったのかもしれません。


その3に続きます。