凪ヲ待ツ

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双極性障害2型アラフォー女子の日々感じたことゆるゆる

延命治療を望まなかった家族の話①

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「お父様の意識は戻る見込みはありません」
「人工呼吸器はつけていますが、自発呼吸がほぼできていなのでいつ亡くなられてもおかしくない状態です。」

父が自分の最後をどのように迎えたかったか。
私たちは父の代わりに答えを出した。
「延命治療は中止してください」、と。
その答えが正しいか間違っていたか、いまの私は正しかったと言い切れる。だが、この答えは半年以上頭の片隅から消えなかった。やっぱり中止しなければよかったのかと。双極性障害を持っている私は体調を崩した際に希死念慮が出ることもあり、そんな時には父は意識がない中どう思っていたのか・・・私たちの答えは本当にこれでよかったのか。考え込むこともあった。

父の気持ちを尊重し下した答え。
時が経ち、あれこれ煩う気持ちもだいぶ落ち着いた。とにかく一連の出来事をどこかに残しておきたい。その気持ちで私はいまキーボードを叩いている。



普段から私たち家族は死について話すことが度々あった。
両親が現役の介護職員、そして私も介護職の経験があるからだと思うが、年齢を重ねるにつれどんな死を迎えたいか、どうして欲しいか。死について話すことはいたって普通のことだった。実際に両親は終活も始めていた。北国での戸建ては雪かきが欠かせず、また家の修繕など何かと心配事が増える。そのような老後の心配を少しでも減らすために、戸建てからマンションへ引っ越して2週間と少し。
そんな矢先の出来事。

突然の死だった。
前日まで何事もなく働いていた。
死の兆候など何ひとつなかった。


2020.03.05
休日の父の役目は出勤する私を職場まで送ること。朝食を一緒に食べ、少し不機嫌かな?と私と母は思いつつも車をとりに出かけた父。後から考えるとその時から苦しかったのだと思う。いつもは父と2人で職場に向うことが多いがその日は今日は一緒に乗っていこうかなと母も同乗し3人でいつものように当たり前に車に乗り込み・・・。様子がおかしくなったのは、直ぐだった。
運転途中で心臓が痛いと苦しみだし、私は慌てて運転を代わった。父を後部座席に移動させ、救急車が来ても大丈夫な広めの駐車場があるコンビニまで急いだ。車を止め救急車を呼んだ。直ぐ来てくれそうなので、少しホッとした記憶がある。コンビニに着くとお腹が痛い気持ち悪いと言い、母が付き添って父はトイレに向かった。出てきたときは苦しさが目に見えて酷くなっていて、動けない状態ながらやっと車に乗って救急車を待っていた。
「ごめんね、ごめんね・・・心配かけちゃってさ・・・。」
ひとりでは立てなくなっていた父は、母に支えてもらいながら私と母に何度もそう繰り返した。

救急隊員の人が到着したときにはぐったりとしていたが、名前は言えていたようだ。状況確認をし、父は担架に乗せられ母と救急車へ向かった。病院がどこになるかはまだわからなかったが、どうやらただ事では済まされない、もしかしたら・・・手の震えを抑えつつ私は妹に電話をしなんとか落ち着こうとしていた。そして、私はただ待つしかなかった。

背後から救急車が揺れる音を感じた。
「心臓止まっちゃったよ・・・」
母が降りてきて私に言った。
どうしよう、私はどうしたらいいんだろう。救急隊員が出てきて搬送先を教えてくれ、その際に優しい言葉をかけてくれたのことは覚えている。私は妹を迎えに行き病院に向かうことになった。冬道運転をするのは1年ぶり以上だったので、とにかく事故だけは起こさないようにしようと深呼吸しながら・・・。


病院に着いたのは30分後。
妹の旦那も仕事を送らせ駆けつけてくれた。母はとても悲しい顔をして私たちを待っていた。「救急車に乗って直ぐ心臓止まったんだよね、でも蘇生を頑張ってくれているからなんとか助かると思うよ。助かることを祈って待つしかないよね」、母は小さな声でそう言った。

それから3時間近く待っただろうか。
ICUでの面会が許され、目にした父の姿はいつもの父ではなかった。
点滴になんだかよくわからないチューブが沢山身体に繋がっていた。
心なしか苦しいような顔に見えた。

私はそんな父の姿を見てられなく、辛くなり下を向いてしまった。
あまりに不自然すぎて、父が父でないような、何か別の人のように感じられた。そして悲しい気持ちもあるけれど涙は少ししか出ず、ただ思うことは「なんて可哀想なんだろう、これはお父さんが望んでいることではないよね、辛いよね・・・」。その気持ちが頭の中をぐるぐる駆け巡っていた・・・。


私たちは医師に呼ばれた。
「1度は心臓が止まったのだけれども、蘇生はできました。
ただ、最善を尽くしましたが、お父様の意識は戻る見込みはありません」。
他に言われた言葉は実ははっきりとは覚えていないけれど、目を開ける少しの可能性もないことだけはしっかりわかった。意識は戻らないけれども、お父さん頑張ったんだ・・・。凄いな、さすがだな。そう思っていた私に、医師は淡々と告げた。
ドナーカードは持っていますか?」、と。
父がいつもカードを財布に入れていたことは知っていたので直ぐ見つかった。私が家族欄に署名したからわかっている、父は臓器提供の意思はない。十代の頃に難病を患い完治してからも持病で糖尿病があったためか、「多分ボロボロの身体だからどこもあげられないし、悪い言い方だけど切り刻まれるのは嫌なんだよね」、そう言いながらマルをつけていた。
臓器に関しては提供しないことを決めていたが、そのことを考えていたら父がよく言っていたことがハッキリと頭の中に浮かんできた。ふさげてるように見えて真剣に言っていたのかもしれないが、「俺は娘に下の世話はしてもらいたくない。そうなる前に死ぬよ」「誰にも迷惑をかけずに逝きたいんだ」。

まさかこんな形で思い出すとは。このタイミングで・・・。
本人の意思確認が必要だけれども、意識がないのだからカードで確認する。こういう使われ方するのね、と一瞬冷静な気持ちになっている中、どういう死を迎えたいか生前どのようなことを言っていたのかと医師からの質問があった。私たちは父が話していたことを伝えた。


そうした中で辛い気持ちがどんどん押し寄せてくるが、事務的な手続きがいっぱいあったのでなんとか持ちこたえられた。このまま入院となるから必要なものを揃えてくださいと言われ、普通に入院するのと同じなんだねと家族で話し、ひとまず帰宅。この日で他に覚えていることといったら、必要なものを揃えに行ったドラッグストアで涙が出そうになったことだ。「まさか、父のためにオムツとパッドを買う日がこんなに早く来るとは」と。どうしてこんなことになってしまったのだろう、夢を見ているんじゃないかと思う長い一日はこうして過ぎていった。


続く。