凪ヲ待ツ

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双極性障害2型アラフォー女子の日々感じたことゆるゆる

ぷれいばっく2020part1

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ごぶさたしてました。
最後の更新が2019年5月・・・
Twitterはガンガンしていましたが、blog更新の気力がなく放置プレイ1年半以上・・・。あれから色々ありました。また一つ大人になりましたわワタクシ・・・

放置期間の2019年にあった主なこと。
・8年間付き合った人と別れる
・1ヶ月半休職
・戸建てからマンション引っ越し準備
・8年通ったメンクリを変える
メンタルヘルスマネジメント検定3級合格

結局2回休職した年となりましたが、新しいことにも挑戦しまぁまぁの1年。



さておきましての2020年。
3回に分けてお送りいたします。
長めですがおつきあいのほど・・・

<1~4月>

1月
職場の人間関係に悩みイライラ酷かった1ヶ月。とはいえさほど時間がかからず解決したので、それなりに過ごせた。引っ越しが目の前に迫り片付けの鬼と化す。
NHK全額免除該当を今更ながらに知り手続き(NHKEテレ大好きっ子です)。
手帳取得時から申請できたので3年も損をしていた・・・。
そして、初オペラ観劇に大感激!


2月
マンションへお引っ越し!
同じ札幌市内ですが40年生まれ育った土地を離れ、都会へ出ました(笑)
久々に喘息発症で苦しむこと数回。荷ほどき、諸々手続きで1ヶ月バタバタ過ごす。引っ越し先での新しい日々に期待膨らませ、たまにコロナに怯えつつも気分体調はほぼ安定。


3月
父、急逝。まだまだ元気な69歳でした。
前日まで元気だった父。朝私を職場まで送ってくれる車中、心臓が痛いと訴え苦しみだして運転を代わり5分ほど。コンビニに駐車し救急車呼び、乗ったときには心肺停止・・・。HCUに運ばれるも数日で脳死判定となり、そのまま目を開けることなく意識が戻らず家族と親戚数名で見送りました。沢山のチューブに繋がった姿はいまでも頭に焼き付いています・・・。
あとからついた病名は大動脈弁狭窄症。早期発見で治療できるものですが、たまに心臓痛くなると言っていたぐらいで大きな兆候はなかったのです。引っ越し落ち着いたら一回精密検査しようかね、そう言っていた矢先で本当に悔しい。

それでも。最後に父が望んでいただろう形、偲ぶ会・お別れ会を開きコロナ渦のなかでも沢山の方々に集まっていただけたので、生前の父のあたたかさにみな触れていたのだと思うと・・・感謝の言葉しかでない現在です。もちろん、父にかける言葉も「ありがとう」以外になく。手を合わす度に言っています。

目の前で倒れて1ヶ月間、事後の手続きは早く終わらせないと!緊急事態宣言が出ているなかで動いて動いて。人の助けを借り(叔父たち、妹夫妻には随分助けてもらった)つつがなく終了できたことはある意味今後の自信にも繋がった出来事。もうしばらくは来ないで欲しいですが。仕事はありがたいことに3週間休みをいただけて、職場の理解に感謝。ただ、復帰後はコロナの恐怖が間近に迫ってきて、職場で緊張することは多かった。

緊張に次ぐ緊張、慌ただしさ、使命感・義務感に駆られる日々・・・1ヶ月まともに過ごせたのがいまでも信じられないほど。自分では気づかなかったことだけれども、色々振り返ると実は混合状態だったのでは?という疑惑あり。
(今でも混合状態は自己判断ができません。母曰く。苛々が多くアタリがキツくなるそうですが、自分ではそれが普通と思いこんでいるので厄介ですよね、ホント。)


4月
寂しいなか、母と2人暮らしが始まる。
月初に母が高血圧で救急車呼ぶも、特に問題なくホッとする。仕事には行けていたが苛々強め。職場のコロナ対策が段々強固なものになっていき先行きに不安を感じているのに、なぜか身体は動く!動く!通勤前後に沢山歩いたり、果てはコロナ対策として自転車通勤を始める。

その一方で父のことは常に頭から離れず。亡くなったことは漠然と受け入れられていたけれど、心の片隅(父の居場所)はぽっかり穴が開いていて。思うことは「引っ越してきた先であれしたかった、これもしたかった」「どうして・・・」。それでも残った家族で父のことを思い出すのが一番、その気持ちで妹夫妻と度々会うことによって気持ちも少しずつ落ち着いていったような記憶あり。


振り返りながら思うこと。
混合状態に気づけないのは大きな痛手だなぁ、と。そんなわけで混合の後に来るものは・・・察しの良い方沢山いらっしゃると思いますが、ハイ、うつでございますね。当然でしょう(笑)

今回のうつはキツかった。もうもうキツかった。で、職場で3度目の休職をしている現在です。一応来月復帰予定。

Part2に続きます→

2020年の振り返りあれこれ、その2 - 凪ヲ待ツ